十五の旅立ち、見送る親――家族の幸せとは何か

沖縄の小さな離島では、中学校を卒業することが、そのまま島を離れることを意味する場合がある。島に高校がなければ、進学を望む十五歳の子どもたちは、家族のもとを離れ、本島や別の地域で暮らし始めなければならない。

三月の港では、島を出る子どもを家族や友人、地域の人びとが見送る。船が岸を離れ、互いの姿が小さくなっていくまで手を振り続ける光景が、毎年のように伝えられる。そこには、子どもの門出を祝う明るさと、しばらくは帰ってこないかもしれないという寂しさが、同時に漂っている。

見送る親は、どのような思いで船を眺めているのだろう。新しい土地で学び、友人をつくり、自分の可能性を広げてほしい。希望する仕事に就き、自分らしい人生を歩んでほしい。それは、多くの親に共通する願いであろう。

その一方で、できることなら近くにいてほしいという気持ちもある。朝、子どもの姿が家の中にあり、食卓を囲み、その日の出来事を聞く。家族として続いてきた当たり前の暮らしを、もう少し一緒に過ごしたい。子どもの未来を応援する気持ちが強いほど、その未来が親元から遠ざかっていくことも、親は知っている。

親の胸にある二つの願いは、どちらかが本心で、もう一方が身勝手なのではない。送り出したい気持ちも、引き留めたい気持ちも、ともに子どもを大切に思うところから生まれている。親の感情のアンビバレンスとは、このように相反する二つの思いを、どちらも捨てきれずに抱えることなのかもしれない。

島を出た子どもは、高校を卒業すると、専門学校や大学に進むことがある。やがて仕事に就き、結婚し、新しい土地に生活の基盤をつくることもある。島に戻らないのは、故郷や家族を忘れたからとは限らない。島の外で始めた生活に、新たな責任や人間関係が生まれ、簡単には戻れなくなっていくのである。

もちろん、島に残って家業を継ぎ、地域の人びとと暮らす人生にも、大切な価値がある。島を出ることが成長で、残ることが停滞なのではない。問題は、どちらの道が幸福かではなく、子どもの選んだ道を認めるとき、家族の暮らしもまた変わらざるを得ないことにある。

その間にも、島では時間が流れる。家に残った親や祖父母は年齢を重ねる。かつては何事も一人でできた親にも、誰かの助けが必要な日が訪れる。子どもは遠くで親を案じ、親は子どもの生活を妨げまいとして「こちらは大丈夫」と答える。互いを思いやる言葉が、かえって本当の心配や寂しさを隠すこともある。

若い頃には、親も故郷も、いつまでも変わらずそこにあるように感じられる。自分の生活を築くことに精いっぱいで、見送った側の思いにまで気づく余裕はない。しかし、自分が親になって子どもの成長を見守るようになったとき、かつて港で手を振っていた親の気持ちを、初めて身近に感じることがあるのではないだろうか。

家族の幸せとは、同じ家で暮らし、いつでも支え合えることなのだろうか。それとも、離れていても、それぞれが望む人生を歩みながら、互いを気にかけることなのだろうか。近くに住むことには確かな安心がある。しかし、距離があるから家族の結びつきが失われるとも限らない。

子どもを送り出すことは、親子の関係を終わらせることではない。それまでの「育て、守る関係」から、離れた場所で互いの人生を認め合う関係へと変わっていくことである。ただ、その変化を受け入れたからといって、親の寂しさが消えるわけではない。

十五歳の旅立ちを見送る親は、子どもの未来を願いながら、自分の手から離れていくことを受け入れようとする。親にとっての幸せと、子どもにとっての幸せは、いつも同じ形をしているとは限らない。それでも、子どもが自分の人生を歩むことを願い、そのために生まれる寂しさを引き受ける。その矛盾を抱えるところにも、親であることの一つの姿があるのかもしれない。

このエッセイで描いた「子どもの旅立ち」と、それを見送る親の思いについては、理論編「親子の自立とつながり――子どもの旅立ちから考える発達心理学」でも取り上げています。親子の自立、親の役割の変化、子どもが巣立ったあとの家族関係などを、発達心理学の視点から整理しています。あわせてご覧ください。ここをクリック