青年期の危険が見えなくなる瞬間

以前、私が勤務していた大学で、忘れることのできない事故があった。昼休み、学生サークルの部室で部員たちがミーティングをしていた。その最中、一人の学生の携帯電話が鳴った。画面には母親からの着信が表示されていたという。携帯の画面に母親からの着信が表示された瞬間、彼はとっさに立ち上がった。携帯を握りしめたまま急いで窓へ向かい、そして飛び出すような勢いで窓の外にある張り出し部分へ出た。しかし次の瞬間、バランスを崩した。


そのまま二階下のコンクリートの地面へ転落したのである。後から現場を見れば、その場所はエアコンの室外機を設置するためのわずかな張り出し部分であった。しかし学生たちは時折そこへ出て、友人と携帯で話をしたり連絡を取り合ったりしていたようである。だから私は、彼が危険を承知のうえで外へ出たとは思っていない。むしろ彼にとってその場所は、普段から目にしている見慣れた空間であったのではないだろうか。おそらく彼には、その場所がそれほど危険な空間としては見えていなかったのである。母親からの着信に気づき、とっさに応答しようとした。その気持ちが先に立ち、足元の危険性を十分に考えるところまで意識が向かなかったのであろう。すべてはほんの一瞬の出来事であった。

私は当時、学生生活指導を担当していたため、この事故の経緯を知ることになった。そして長い間、「なぜ彼はそんな行動をとったのだろう」と考え続けてきた。もちろん、危険な遊びをしていたわけではない。ふざけていたわけでもない。むしろ周囲のミーティングを妨げないようにという気遣いの延長線上で起きた事故であった。だからこそ、この出来事は私の心に深く残ったのである。

現在、発達心理学や神経心理学の視点から改めてこの事故を振り返ると、この出来事の背景には青年期特有の心と脳の発達が関係していたように思える。思春期から青年期にかけて、身体は急速に大人へと近づいていく。性ホルモンの分泌が活発になり、身体つきは大人らしく変化する。しかし脳の発達は身体の成長と同じ速度では進まない。感情や興味、好奇心、達成感などに関わる脳の仕組みは早い段階から活発になる一方で、危険を予測し、衝動を抑え、行動を慎重に判断する前頭前野の成熟は二十歳を過ぎても続いていることが知られている。そのため青年たちは危険を知らないわけではない。しかし感情が動いた瞬間や予想外の出来事が起きた場面では、危険を吟味するより先に行動が始まることがある。

私たち大人も振り返れば、似たような経験を持っているのではないだろうか。後になって考えると冷や汗が出るような行動を、当時は深く考えずにしていたことがある。青年期とは、それほど大きなエネルギーを内側に抱えた時期なのである。もちろん、すべての危険行動を発達のせいにすることはできない。しかし若者の行動を単純に「考えが足りない」と片づけてしまうことも適切ではないだろう。


あの日の事故から長い年月が過ぎた。それでも私はときどきあの学生のことを思い出す。青年期とは危険を知らない時期ではない。危険が見えなくなる瞬間がある時期なのである。そして、その危うさと可能性の両方を抱えながら、人は少しずつ大人になっていくのだと思う。