私の友達のアメリカ人の心理学者は、沖縄のアメリカのベースの中にある、アメリカの大学のブランチで心理学の教鞭をとっていた。私と専門が同じ領域であったことから、非常に親しい研究仲間となった。彼の趣味は漢字にあった。時々、私に感心した様子で、また自慢げな様子で、漢字について説明してくることがたびたびあった。たとえば、その一つに「意味」の「意」である。「音」に「心」がつくと、意味が生まれる、というのである。これにいたく感心していた。同様のことを度々私に説明していた。
アメリカのベースの中にあるブランチで教員をしていると、彼らは一年のうち数回は、他国のベースのブランチでも心理学を教えるようで、ヨーロッパやアジアにあるベースなどもたびたび往来し、世界を股に掛けて教鞭をとっている。
彼曰く、どんなに忙しくとも、クリスマスと正月はミズーリ州セントルイスの両親のもとに戻り、家族全員で祝うことになっているそうだ。クリスマスから一週間も経たない正月も同様に帰省するのである。
彼と以前こんな話をしたことがある。世界中を飛び回っていて淋しいことはないのかと尋ねると、漢字が好きな彼は「母港」という話をし始めた。「僕は帰れる港をもっている」から淋しいことは一つも感じたことがないというのである。
さらに、「母」という字は本当に面白いと語った。「母港」「母校」港や学校など、船出や人生の出発に関わる場に「母」という字が用いられている。この「母」という意味を心理学的に理解することは、私にとって大いに意味のあることである。
私たちは帰る場所をもっているとき、強く生きることができるからである。私たちは常に平穏で癒やされる世界に生きているわけではない。ある意味では、人生は疾風怒濤であろう。荒波の中で、自分の目的や将来を夢見て船を漕いでいるようなものだといっても過言ではない。
人はつらいとき、苦しいとき、ふと息をつく場所や癒やされる場所を求めたくなるものである。その人生における「帰る場所」が、「母校」や「母港」であり、それは「母」という存在に通じるのだろうか。
帰れる場所を持っている人は、人生を強く生きることができる。逆境にもめげず、前に進む力を保つことができる。その帰る場所は、私の友のように、実際に存在する母に代表される物理的な場所である場合もある。その場所に身を置くことで、人は癒やされるのである。
母という字で表される場所には、そこに愛着が存在しているからであろうか。幼少期から強い愛着を形成できたことは、人生でつまずきがあっても強く生きるレジリエンスを備えることにつながるであろう。
しかし、愛着の形成に関わった母親を中心とする家族が、人生の中でいつまでも続くわけではない。人は年を重ねるにつれて、愛着を形成してくれた両親や家族を見送ることになる。
それでも、自分の中に確固として形成された愛着は、人生の最後まで自分を支え、強く生きさせる力となるのである。「母港」「母校」という漢字を眺めるとき、私はふと昔の友のことを思い出し、同時に人生における愛着の意味について考えるのである。