自伝的記憶の三つの働き
人はみな、それぞれの人生のリュックサックを背負っている。そこには、喜びや達成感、失敗や別れ、誰かに助けられた経験などが入っている。背負ってきた経験は、一人ひとり異なる。そして、その経験を思い出すことが、現在の自分を支え、これからを生きる力になる場合がある。
心理学では、自分の人生に関わる出来事や、自分自身についての知識を含む記憶を「自伝的記憶」という。入学式の日の緊張や友人との旅の記憶に加え、どこで育ち、どのような仕事をしてきたかという知識も含まれる。
自伝的記憶には、主に三つの働きがある。第一は、過去と現在の自分をつなぐ「自己機能」。第二は、経験を現在や将来の判断・行動に役立てる「方向づけ機能」。第三は、人との関係を築き、保つ「社会的機能」である。記憶は、過去を覚えておくことに加え、現在の生活にも関わっている。
思い出は、そのまま保存されているのか
これらの働きを考える前に、記憶の特徴を押さえておきたい。リュックサックという比喩からは、経験が当時の姿で収納されているように感じられる。しかし、思い出すことは、録画の再生とは異なる。経験の一部を手がかりに場面を組み立て直しており、現在の関心や気持ちも、思い出し方に関わる。
たとえば、子どものころには「親に理解してもらえなかった」と捉えていた出来事も、自分が親になると、当時の親の心配に気づくことがある。出来事そのものと、それをどう記憶し、意味づけるかは、区別して考える必要がある。
過去と現在の「私」をつなぐ
第一の自己機能は、人生の変化の中で、自分がどのような人間かを理解する働きである。進学、就職、子育て、退職によって、暮らしも役割も変わる。それでも経験を振り返ることで、「こうした日々を経て、いまの自分になった」と理解できる。この、時間を通して自分がつながっている感覚を「自己の連続性」という。
退職して肩書がなくなっても、仕事に打ち込んだ経験や、仲間と協力した日々まで失われるわけではない。自伝的記憶は、現在の役割だけでは捉えきれない自分を理解する手がかりとなる。
これからの行動を支える
第二の方向づけ機能は、過去の経験を、現在や将来の行動に生かす働きである。困難に直面したとき、以前にも試行錯誤して乗り越えた経験を思い出せば、「今回も方法を探してみよう」と考えられることがある。失敗の記憶も、別の選択肢を考える材料になる。
ここでいう生きる力は、気分が明るくなることだけではない。使える方法を思い出し、次に何をするかを考えられることでもある。過去の経験が現在の課題に結びつくとき、記憶は行動を支える資源となる。
人とのつながりを支える
第三の社会的機能は、思い出を通して、人との関係を築き、保つ働きである。ともに経験した出来事を語り合うことは、互いの気持ちや価値観を知る機会になる。また、誰かに助けられた記憶が、「困ったときには相談してよい」という思いにつながる場合もある。
父や母の若いころの話を聞けば、「親」として知っていた人にも、迷いや願いを抱いて生きた時期があったとわかる。思い出を語り、聞くことは、現在の姿からは見えない、その人の人生を知る機会になる。
ただし、思い出すことが、いつも支えになるとは限らない。苦痛を伴う記憶もあり、すべてを肯定的に捉え直す必要はない。語らずにいることも、その人の選択である。
人生のリュックサックには、重荷になる経験も、歩みを支える経験もある。自伝的記憶の三つの働きは、背負ってきた経験が、いまの自分とどう関わるかを考える視点を与えてくれる。
エッセイ「その人にも、私の知らない日々がある――『つみきのいえ』を観て」では、一人の老人の暮らしから、その人が生きてきた時間について考えている。あわせてお読みいただきたい。ここをクリック