健康のために毎日歩こうと決めたのに、三日ほどでやめてしまった。部屋を片づけなければと思いながら、なかなか取りかかれない。ところが、好きな趣味には、誰に言われなくても何時間も熱中できる。
私たちは、あることには進んで取り組み、別のことには気が向かない。また、意欲を持って始めても、途中で諦めることがある。この違いは、どこから生まれるのだろうか。
人がある行動へ向かう理由や欲求を、心理学では「動機」と呼ぶ。そして、動機によって行動が始まり、一定の方向へ向かい、続いたり中断されたりする心の働き全体が「動機づけ」である。動機が行動を生み出すもとであるなら、動機づけは、それが行動として展開していく過程だといえる。
たとえば、喉が渇けば水を飲みたくなり、空腹になれば食べ物を探す。このように、身体の内側から行動を促すものを「動因」という。一方、通りかかった店から焼きたてのパンの香りが漂い、急に食べたくなることもある。外側にある対象が行動を誘う働きが「誘因」である。
実際の行動は、内側の欲求だけでも、外側の刺激だけでも決まらない。空腹でも食べたい物がなければ店に入らず、それほど空腹でなくても、好物を目の前にすると手を伸ばすことがある。人の行動は、心や身体の状態と環境との相互作用によって生まれるのである。
人を動かすものは、空腹や喉の渇きだけではない。人と親しくなりたいという親和動機、周囲から認められたいという承認への欲求、何かを成し遂げたいという達成動機、新しいことを知りたいという好奇心、自分らしく生きたいという願いも、行動を生み出す。
一つの行動には複数の動機が重なっている。大学へ進学する場合でも、専門的なことを学びたい、資格を得たい、就職に役立てたい、家族の期待に応えたいなど、その理由は一つとは限らない。人の行動を一つの理由だけで説明すると、その人の心を見誤ることがある。
人間の欲求には、生命や安全を守るものから、人とのつながり、承認、成長、自分らしい生き方を求めるものまで、さまざまな広がりがある。心理学者マズローは、こうした欲求を低次のものから高次のものへと段階的に捉える「欲求階層説」を提唱した。しかし、人は必ずしも決められた順序で、一段ずつ欲求を満たしていくわけではない。
生活が苦しいなかでも創作や研究に打ち込む人がいる。自分が困難な状況にあっても、他者を助けようとする人もいる。人の欲求は、いつも同じ順序で現れるのではなく、置かれた状況や人生の時期によって優先順位を変える。
ところで、動機づけを理解するうえでは、行動そのものにひかれて「やりたい」と思う場合と、何らかの目的や必要から「やらなければならない」と思う場合との違いが重要になる。
活動そのものがおもしろい、もっと知りたい、上手になりたいと思って取り組むことを、内発的動機づけという。これに対して、報酬を得るため、叱られないため、試験に合格するためなど、活動の外側にある目的によって行動することを、外発的動機づけという。
本を読む場合でも、続きが知りたくて読む人もいれば、試験に出るので読む人もいる。行動は同じでも、それを支える理由は異なるのである。
外発的動機づけが、すべて好ましくないわけではない。試験のために始めた勉強が、やがて学ぶ楽しさにつながることもある。一方、好きで始めたことが、報酬や評価を意識するうちに、「しなければならないこと」へ変わる場合もある。
とりわけ、子どもが絵を描く、虫を観察する、本を読むといった活動そのものを楽しんでいるときには、大人のかかわり方に注意が必要である。賞品を与えたり、褒められることを強く意識させたりすると、「楽しいからする」ことが「褒められるためにする」ことへ変わり、もともとの興味が弱まることがある。
だからといって、子どもを褒めてはいけないということではない。結果だけを評価するのではなく、「よく工夫したね」「前よりできるようになったね」と、努力や発見、成長に目を向けることが大切である。子どもが自分で選び、自分なりに試し、できるようになったと感じられる関わりが、内発的動機づけを支える。
では、なぜ意欲を持って始めたことが続かないのだろうか。その理由を、単に「意志が弱いから」と考えるのは早計である。目標が大きすぎる、努力しても成果が見えない、自分には難しいと思う、失敗や評価を恐れているなど、さまざまな理由がある。
人は、その行動に意味や価値を感じ、「自分にもできそうだ」と思えるときに、取り組みやすくなる。とりわけ、活動そのものにおもしろさや喜びを感じる内発的動機づけは、行動を始めるだけでなく、それを長く続け、困難に直面しても工夫しながら取り組む力を支えている。
動機づけについて知ることは、単にやる気を出す方法を学ぶことではない。それは、人を「意欲のある人」と「意欲のない人」に分け、性格や意志の強さだけで判断しないための視点でもある。
始めることにも、続けることにも、諦めることにも、その人なりの理由がある。何をしたかだけでなく、なぜ始め、何がその歩みを支え、なぜ続けられなかったのかに目を向ける。そのとき、行動の背後にある願い、不安、期待、周囲との関係や環境が見えてくる。動機づけを理解することは、その人の心と生き方を理解することなのである。
あわせて、「心と脳のエッセイ」の「人は何を求めて生きるのか――『成し遂げたい心』と『つながりたい心』」もご覧ください。