幼児は、ある日突然、ことばを話し始めるわけではない。身近な大人の声を繰り返し聞き、その口の動きや音をまねながら、少しずつことばと意味を結びつけていく。その背後では、脳のさまざまな領域が互いに情報をやり取りしながら、「ことばのネットワーク」をつくっている。
人間の言語には、「聞く・話す・読む・書く」という四つの働きがある。発達の初期にまず育つのは、「聞く」と「話す」力である。幼児は周囲のことばを聞き、その音をまね、やがて自分の思いをことばで伝えるようになる。その土台の上に、文字を通して意味を理解する「読む」力や、自分の考えを文字で表す「書く」力が築かれていく。
ことばを話す働きには、左前頭葉にあるブローカ野が深く関わっている。ブローカ野は、伝えたいことを発話へと組み立て、口や舌を動かすための準備をする。一方、側頭葉上部にあるウェルニッケ野は、耳から入ったことばの意味を理解する働きを担う。
幼児が大人の語りかけを聞き、そのことばをまねて発音しようとするとき、これらの領域が単独で働いているわけではない。聞いた音を理解する領域と、その音を自分で発するための領域とが連携し、少しずつ情報の通り道を強めていく。ことばを獲得するとは、脳の一か所が成長することではなく、複数の領域の結びつきが育つことなのである。
さらに、「読む・書く」という働きには、側頭葉だけでなく、頭頂葉や後頭葉を含む広い領域が関わる。頭頂葉にある縁上回は、聞いた音と文字の形を結びつける役割をもつ。たとえば、「りんご」という音を聞いたときに、それを「り・ん・ご」という文字と対応させるためには、この働きが必要になる。
その近くにある角回は、文字を音に変換したり、文章全体の意味を読み取ったりするときに重要である。文字を見て発音するだけでなく、「何が書かれているのか」を理解するためには、視覚、音、意味を扱う複数の領域が協力しなければならない。こうしたネットワークは、幼児期後半から小児期にかけて、読み書きの経験とともに発達していく。
言語は一般に左半球との関係が深いとされるが、誰もが同じように左半球だけを使っているわけではない。右利きの人の多くは左半球が言語機能で優位になるが、左利きの人では、右半球や左右両方が言語に関わる場合もある。とくに幼児期は脳の可塑性が高く、言語を担うネットワークは、経験や環境の影響を受けながら柔軟に形づくられていく。
ことばの発達には、記憶の働きも欠かせない。新しい単語を覚えたり、聞いた物語を後から思い出して話したりするためには、言語に関わる領域だけでなく、海馬を中心とする記憶の仕組みも働く。幼児が前日に経験した出来事を思い出し、「きのう、こんなことがあった」と語れるようになるのも、ことばと記憶のネットワークが結びついていくからである。
ただし、ことばの育ち方には大きな個人差がある。音を聞き分けることが難しい子ども、ことばを思い出して話すまでに時間がかかる子ども、文字と音を結びつけることにつまずく子どももいる。こうした違いは、必ずしも本人の努力不足や、周囲の働きかけの不足によるものではない。脳内のネットワークにも、一人ひとり異なる発達の道筋がある。
ことばは、一つの脳領域だけで生み出されるものではない。音を聞く、意味を理解する、口を動かす、文字を見る、記憶するという、さまざまな働きが結びつくことで成り立っている。
そして、このネットワークは、一方的にことばを教え込むことで育つのではない。子どもが見ているものに大人も目を向け、声をかけ、その反応を待ち、ともに絵本や出来事を味わう。そのような日々のやり取りが、子どもの脳の中に、ことばと人と世界を結ぶネットワークを育てていくのである。