――発達障害を知ることで変わった人の見方
発達障害と脳とのかかわりについて講演したあと、二人の参加者から感想をいただいた。一人は発達障害のある息子を育てる父親、もう一人は成人後にADHDと診断された友人を持つ人であった。
二人の文章に書かれていたのは、新しい知識を得たということだけではなかった。そこには、目の前の人をどう見てきたのかを振り返り、自分自身の見方を問い直そうとする思いが表れていた。
一人目の父親には、小学校二年生になる息子がいる。幼稚園の頃、先生から、得意なことと苦手なことの差が大きいと指摘された。しかし、そのときは「自分の子どもに限って」という気持ちが強く、先生の言葉を受け止めることができなかったという。
小学校に入ると、幼い行動が目立ち、言葉の意味を理解することも難しいと担任から指摘された。父親は、勉強をせず遊んでばかりいるからだと考え、何度も叱った。
転機となったのは、夏休みに入る前のことであった。息子が黒板から書き写した連絡事項を見ると、文章が文章になっていなかった。父親は愕然とし、再び息子を叱った。しかし、その瞬間、幼稚園の先生の言葉がよみがえった。
もしかすると、息子は怠けているのではない。書き写すことや言葉を理解することに、本人の努力だけでは乗り越えにくい難しさがあるのではないか。
妻に話すと、妻は幼稚園の頃から息子の特性を受け止め、さまざまな方法を探していた。父親は、息子と十分に向き合ってこなかったことに気づき、強い罪悪感を抱いた。その後、息子はADHDと軽度の自閉症傾向があると診断された。
この父親の感想を読み、私は胸を突かれるような思いがした。父親は息子を見ていなかったのだろうか。私は、そうではないと思う。毎日の行動を見ていたからこそ、できないことが気になったのである。ただ、その行動を「努力が足りない」「やる気がない」という物差しを通して見ていた。見えていたのは表面に現れた行動であり、その向こう側で息子が何に困っているのかまでは見えていなかったのである。
親がわが子の特性を受け入れることは、理屈で考えるほど簡単ではない。「自分の子どもに限って」という思いの背景には、成長してほしいという願いもある。だからこそ、できない理由を努力不足と捉え、叱ってしまうことがある。
もう一人の感想には、大人になってからADHDと診断された友人の言葉が記されていた。その友人は、「診断されて、ようやく楽になった」と話していたという。
診断によって苦労が消えるわけではない。それでも楽になったのは、自分の性格や努力不足のためだと思っていたことに、別の説明が与えられたからではないだろうか。この友人にとって診断は、自分を責め続けることから離れ、自分を理解し直す手がかりになったのであろう。
二人目の感想を書いた人は、「みんなと同じように」と求めることが、発達障害のある人を追い詰めるのではないかと考えていた。集団生活には一定の決まりが必要である。しかし、その決まりに合わせることが難しい人を、すぐに「わがまま」「協調性がない」「努力が足りない」と判断してよいのだろうか。
発達障害を理解するには、診断名や脳の特徴を正確に知る必要がある。しかし、それだけでは十分ではない。「なぜできないのか」と本人を責める前に、「この人には何が難しいのか」「どのような方法なら取り組みやすいのか」と、周囲の側が考え直すことが大切である。
二人の感想を読み終え、私は講演の意味を改めて考えた。二人の言葉は、別の見方をすれば、今日よく語られる「合理的配慮」という考え方にも通じるものであったように思う。それは誰かを特別扱いすることではなく、その人が何に困っているのかを知り、参加しやすい方法や環境をともに考えることである。
二人は合理的配慮という言葉を用いたわけではない。しかし、その感想には、「なぜできないのか」と責めるのではなく、「どのような方法なら、その人も参加できるのか」と周囲の側が問いを変える発想が表れていた。
講演によって、誰かの行動をすぐに変えられるわけではない。それでも、「困った行動」としか見えなかったものが、実は「困っている人からの表現」であったと気づくことがある。叱る前に立ち止まり、本人の側から考えてみようと思うことがある。
今回の二人の感想は、講演した私自身にも一つのことを教えてくれた。発達障害について語る意味は、正確な知識を伝えることだけではない。その知識を手がかりとして、一人の人間を見る目を変えることにもあるのではないか。
発達障害を理解するとは、その人を診断名の中に閉じ込めることではない。目に見える行動の向こう側に、その人なりの感じ方、理解の仕方、努力の仕方があると想像することである。
変わることを求められているのは、発達障害のある本人だけではない。その人を見る私たちも、「普通」や「できて当たり前」という自分の物差しを、問い直す必要があるのではないだろうか。