人生は、一回限りの自己実験である
人生は「脚本のない物語」である、とよく言われる。確かに私たちは生まれる前から自分の人生の筋書きを知っているわけではない。どのような人と出会い、どのような仕事に就き、どのような喜びや挫折を経験するのか、あらかじめ書かれた台本を手にして生きているわけではない。その意味では、人生は脚本のない物語である。
しかし、私にはもう少し違った見方もある。人生は物語であると同時に、一生を通しての「自己の実験場」でもあるのではないか。人は自分という一人の存在を生きながら、自分とは何者であるのか、何を選べばよいのか、どのように生きれば自分らしくいられるのかを確かめている。人生とは自分自身を対象にした、一回限りの実験の連続のような気がする。
このように考えがふと頭をよぎるは、私自身の学問的な歩みが関係しているようだ。私は大学院で実験心理学を専攻した。実験心理学とは、人の心の理解のために実験的手法によって、心の働きを解明する心理学である。目に見えない心を、自然科学的な実験的手法を用いながら解明する領域である。そのような方法論を長く学び、身につけてきたためであろうか。自分の人生を振り返るときにも、どうしても「実験」という考え方が頭をよぎる。人生を考えるとき、私の中では、選択、仮説、結果、考察という言葉が自然に結びついてくるのである。
ところで、自分という人間は、今ここにいる自分だけである。自分が二人いて、同じ時点で別々の人生を同時に試すことはできない。進学する人生と就職する人生、ある職場に残る人生と辞める人生、ある人と関わり続ける人生と距離を置く人生。頭の中ではいくつもの可能性を思い描くことができる。しかし、現実に選べる行為は、その時その時に一つだけである。
ここに人生の難しさがある。私たちは、選ばなかった人生の結果を、本当には知ることができない。「あのとき別の道を選んでいたら、どうなっていただろう」と考えることはできる。しかし、それは想像であって、実際に確かめることはできない。人生には、同じ条件でもう一度やり直すという意味での再実験がない。時間は一方向に流れ、自分はその流れの中で、一つずつ選択しながら生きていく。
実験とは、「こうなるのではないか」という仮説を立て、それに基づいて条件を整え、実際に試してみて、その結果を考察する行為である。このように考えると、私たちの日々の選択も、実は小さな実験である。「この仕事を続ければ、自分は成長できるのではないか」「この人に自分の気持ちを伝えれば、関係が少し変わるのではないか」「今は休むことが、長い目で見れば自分を守ることになるのではないか」。私たちは明確に意識していなくても、何かを選ぶときには、そこに小さな仮説を置いている。
もちろん、その仮説がいつもうまくいくとは限らない。選んだ道が思ったような結果につながらないこともある。努力したのに報われないこともある。信じた人間関係が苦しみに変わることもある。あのとき違う選択をしていればよかったと、悔いが残ることもある。これを私たちは、しばしば「失敗」と呼ぶ。
しかし、人生を実験として見るならば、失敗の意味は少し変わってくる。失敗とは、自分という人間の価値が否定されたということではない。ある時点で立てた仮説が、現実の条件とうまく合わなかったということである。科学の実験でも、予想通りの結果が出ないことは珍しくない。むしろ、予想と違う結果が出たときにこそ、新しい問いが生まれる。人生における失敗も同じである。うまくいかなかった経験は、ただ消してしまいたい過去ではなく、次の選択を支える材料になる。
ただし、人生の実験は、科学実験とまったく同じではない。科学実験では、条件を整え、同じ手続きを繰り返し、結果を比較することができる。しかし人生では、同じ場面は二度と戻ってこない。年齢も、身体も、周囲の人間関係も、社会の状況も、少しずつ変わっていく。だから人生の実験は、厳密に再現できる実験ではなく、1回キガリの限り中で行われる実験である。
その1回限りこそが、人生の重みでもあり、面白さでもある。私たちは、完全な正解を知ってから選択することはできない。不安を抱えながら、それでも一つを選ぶ。選んだ結果を引き受け、そこからまた考える。そして次の選択へ向かう。
人生は、自分を被験者にした一回限りの実験である。そこには成功もあれば、失敗もある。予想通りの結果もあれば、思いがけない結果もある。しかし、そのすべてを通して、私たちは少しずつ自分を知っていく。自分は何に喜び、何に傷つき、何を大切にし、どのような人間として生きたいのか。その問いを、生きながら確かめていく過程こそが、人生という実験なのではないだろうか。